自分が何を大切に生きているのか、
人間が何を大切に生きているのか
わからなくなって、考える今日の午前11:00
わからなくなったのはきっとこの年齢のせい
どうも22歳よこびーです
早く感じたことを文字に起こしたいので前置き抜きでもう書きますね
それも例のごとくタメ語で
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きっと善い悪いなんて存在しない。
俗にいう正しさなんてものは、論理的に矛盾しないかどうかでしかなくて、
ルールとか規範なんてものも顔も知らない誰かが作ったなんの根拠もないもので
きっと大切なのは自分なりの美しさの判断基準を持つことだ。
物事の判断の9割はきっと正しさでつくけど、たった1割、論理的に説明できない矛盾を孕んだ行動を取るのが人間だ。
その矛盾こそがここの美学なんじゃないかなって最近思う。
美しさの基準は人それぞれ違う。
みんな論理的に矛盾がなければ分かり合える正しさとは違い、絶対に分かり合えないことがある
全ての人が合理的に矛盾なく生きれば、誰も損しないパレート均衡の世界を作れる。
機械のように振る舞って、お互いが損する戦争も、未来を失う環境保護も起こらないようにできる
でも人には美徳がある
美徳があるから人は嫌いな人とは仲良くできない
美徳があるから、政府に見栄が生じて、戦争が起きる
美徳があるから、資源の無駄遣いで環境汚染を引き起こす
人はそれぞれのもつ価値観、美徳によって
人が奪い合い、苦しめ合い、不幸になるとしても、
戦争が起きて、資源が枯渇して、環境が壊れて地球と心中することになったとしても
人間を人間たらしめる美しいものに心震える気持ちだけは失うべきではないんだ
殺し合いと同時に、
美徳があるから人は
自分の損を承知で、全く関係ない人に手を差し伸べようとする
美徳があるから
性欲をコントロールして浮気をやめる
美徳があるから
絶対勝てない相手に立ち向かう
何を美しいと感じるかは人それぞれだ
でもどこの誰とも知らない人の作った規範やルールよりも、自分が守る必要を感じた美しさを守る方がずっとステキな生き方ができそう
無法になれって訳じゃなくて、最低限の正しさを超えないリミッターの役割は法律達がやってくれる
自分の心が震える理想の行動原理を、美しさと呼んで、それに従って生きていきたい
きっと、マザーテレサの
「持つ者が持たざる者に与えるのは当然のことだ。遠くの人より隣人を助けなさい。」
という言葉も美しさだ
多くの人がその言葉に心を震わせたことで、この美しさは正しさになった
同じように俺の感じた美しさで、自分も他人も心を震わせて少しでも世界を変えたい
読んでくれてありがとうございます。
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