どうもこんにちはよこびーです。
卒業論文を書きながら、凄い嫌いな人を思い出したのでそいつの誹謗中傷を書きます。
文章の最後にそいつの名前を明かします。
ふとそいつについて考えていたら、病気なんじゃないかって思いました。
国際協力に関心がある人特有の病気、、、、、、
とりあえず病気ということにして、そいつの罹った病気について解説と治療法を書いていこうと思います。
当たり前ですが、正式な病名ではないです。
また、不快な思いをされる方がいるかもしれないので予め謝っておきます。
国際協力に熱意のある人間の陥りやすい間違い心理として捉えてみてください。
僕はこれを国際協力拗らせ病と名付けることにしました。
その病気の進行を3段階に分けて説明します。
PHASE1:思い上がり過剰状態(初期症状)
国際協力をしている人は、活動の中身があろうとなかろうと一定数以上他人に認められます。
他人からの肯定により、本当に自分は凄い人間だと錯覚してしまいます。
例えば、僕の嫌いなあいつは”海外で家を建てる””というボランティアサークルに入っています。
そんな珍しいボランティアをしてると周りからは、
「すごいね!」
「世界を変えそう」
とかよく言われるそうです。
ですが、これは海外で家を建てるという一般の人からイメージの付かないことをやっているから、とりあえず「すごーい」って言われるだけで、本当に内面を称賛しているわけでも活動を理解しているわけでもないなんとなくの「すごーい」です。
尊敬されているわけでも、活動に共感してもらってるわけでもないのが大半です。
でも誉め言葉だけを真に受けて自分がさも凄い人間のように見えてきたら、かなりアブないです。
次第に以下のような症状が現れてきます。
・他人の意見に耳を貸さない
・音楽聞きながら歩いてて急に周りの通行人が格下に見える
・遅刻しても重役出勤している感覚になる
・当たり前のことをやらなくなる
俺のきらいなあいつも次第に自分だけが特別に見えてきたのでしょうね
きっとあいつの頭の中はこんな感じです。
自分はすごいことを経験しているのだから、他のやつの意見なんか聞く必要なんてない。
自分はすごいことに時間を費やすのだから部屋を片付ける暇もないし、つまらない授業は友達に出席出して貰えばいいし、無駄なカロリー消費を抑えるために電車では自分が座るべきだ。
自分はこいつらとは違うんだ意識が暴走して、人の意見を全く意に介さなくなってしまうのでしょう。
あ~みっともない
ボランティアしている人=凄い人なんていことは全くないです。
仮に自分がすごい人だったとしたら、なおさら人の意見に耳を貸すべきです。
むしろボランティアって誰でもできるものなのだから、部屋を片付けるとか、お年寄りに席を譲るとか誰でもできることはやれよ。→俺の嫌いなあいつに向けて!
PHASE2:小さな善行をないがしろにする。
PHASE1の初期症状は外から見たらイタいややつってだけで周りへの害はありません。
単純にそいつの周りから人が離れていくだけです。
でもPHASE2は周りへの迷惑を伴います。
またまた僕の嫌いなあいつの登場です。
あいつはボランティアでインドだかネパールだかに行ってそこでの人々の壮絶な苦しみを見たと言っていました。
そんな人たちへの支援に比べたら、日本での善行なんて些細なことなのでしょう。
これ自体は分からなくもないです。
確かに途上国の過酷な環境で命の危機に瀕している人に比べたら、日本の日常に苦しんでいる人間なんてちっぽけに見えてきます。
そしてPHASE1で得た過剰な自尊心は、物事が上手くいかない時にストレスへと変換され、イライラが溜まる為、日本での身近な人間に対しての親切心が減少していくのだと推測されます。
きっとあいつの脳みその中身はこんな感じなんでしょう。
「インドのカースト制度に苦しむ人々や、ネパールで物乞いをさせられている子どもたちに比べたら、日本で困っている人なんて困っていないようなものだ。
寝坊しそうで教科書忘れてしまった友人なんて、自業自得だ。図書館で借りた本を延滞しても、誰も死なない。グループで一人ぼっちの人間がいても別に死ぬことはない」
こういう考え方をこじらせにこじらせて、人に迷惑をかけても平気になっていき、小さな善行をないがしろにしていきます。
あいつは
街で肩がぶつかっても謝らない。
TSUTAYAにDVD返さない。
図書館で検索した本がいざ棚までいってらなかったから、本の順番をめちゃくちゃにする。
電車の乗り換えにて、エスカレーターで前の人にプレッシャーをかけて急かす。
グループディスカッションでクラッシャーになる。
でもボランティアしている人間が日本でバリバリに悪いことしていたら、ボランティアのイメージが悪くなります。
そして何よりそんな殺伐とした心持ちで日本人と接していたら、いざ国際協力の現場で温かい心が発揮できないはずです。
開発途上国だろうと先進国だろうと相手は同じ人間なのだから。
あいつはきっとそのままだったら国際協力の現場で役に立たない。
貧困の解決とかを望んで真剣に考えるのは結構なのですが、大きな行いに目を取られて目の前の小さな行動を無視しちゃダメなのです。
と僕は思います。
PHASE3:もはや、何もしない。(末期症状)
ここが一番あいつのダメなところじゃないでしょうか。
自分は人と違うんだと天狗になって、小さな善行を無視して、結局今お前は、何か、誰かを助けるために動いているのか?とあいつに問いたいです。
PHASE1の初期症状について話した通り、学生で国際協力的な活動をしていると、周りからはやっていることに見合わないほど認めてもらえます。
そこで思い上がって培われた自尊心は増長してPHASE2で小さな善行を行わない、あるいは些細な悪行に繋がります。
こういった自分本位な感性のまま時を過ごすと、ついに末期症状、PHASE3の何もしないという状態に入ります。
暗い感情を持ったまま、自分は特別だという意識にすがって思い上がりの自意識過剰状態になり、途上国の現状と比較して日本で困っている人を助けることをないがしろにした後の末期症状、ついに途上国の現状に対しても何もしなくなります。
正確には何も思わなくなる、というのが正しいです。
PHASE2の終わりでも触れましたが、身近な日本の人や、ささやかな日常の親切をないがしろにしていけば、心が壊死してしまい、いざ国際協力が身近になった時、その身近な人たちに対して温かい心で接せなくなります。
また、現地に行かなくてもできる国際協力に対しても鈍感になります。
例えば、こまめに電気を消せば温室効果ガスを削減できる。
無駄に食べ物を出さなければ、輸入先で無駄に農作物を作らせる必要がなくなる。
一日50円ずつ募金すれば、その寄付先の抱える課題をそれなりに解決できる。
こういうこともしなくなります。
心が凍っているから当然の結果です。
もともとは国際協力に関心があっただけなのにこじらせ続けて自尊心が空回りまくってここまでくると、関心のない人以下の存在になります。(敢えてこの表現を取ります)
今までの流れをまとめるとこうです。
ワクチン紹介と俺の嫌いなあいつの正体
これを見てなんらかの症状に心当たりがあった方にワクチンを紹介します。
PHASE1(初期症状)へのワクチン
・信頼できる誰かに批判してもらうことで、自信過剰を打ち砕く
→国際協力とはそもそも批判と隣り合わせて強くなっていくものだから
・人に認められるための活動じゃないぞ!と心の中で呟く
→心の中で呟くだけでも、自分が本当はなんでその活動がしたいのか再理解できる
PHASE2(中期症状)へのワクチン
・無理やりでも人助けをしてみる
→人を助けたら少なからず、自分の心に温かさが戻ってきます。それをきっかけに温かい心を取り戻しましょう
PHASE3(末期症状)へのワクチン
・自分よりすごい人と会う
→国際協力の世界にはこんなところでこじらせてる自分よりもはるかに凄いし、立ち止まらず頑張っている人がいます。そんな人たちを見たら当初の国際協力への熱い情熱が戻ってくるはずです。
さて、最後に俺の嫌いなあいつとは誰かネタバレです。
こいつが俺の嫌いな奴です。
自分です。
はい、結局自分のいやなところというオチでした。
自分じゃないかとドキッとした人は多かったのではないでしょうか。
ドキッとさせてごめんなさい。
ですが、ここに書いたことは国際協力を通して意外と多くの人が陥ってしまうのではないでしょうか。
もちろん全ての人というわけではありません。
国際協力の世界には素晴らしい人間性を兼ね備えた人が数多く存在します。
しかし、途上国の現状やそれに関心を示さない周りの人に対して疲れて、このように心が歪んで荒んでしまうこともあるのではないでしょうか。
もちろん自分も常に上の症状に当てはまっているというわけじゃないのですが、そういう日や時期があることは間違いないです。
まあ、ここに書いたことに何も根拠はないのですがね(笑)
何かご意見有れば教えていただきたいです!
参考文献:自分の心